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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)541号 判決 1980年2月28日

控訴人(附帯被控訴人)

右代表者法務大臣

倉石忠雄

右指定代理人

藤村啓

外五名

被控訴人(附帯控訴人)

高野サク

外七名

右八名訴訟代理人

口野昌三

佐藤孝一

主文

1  原判決中控訴人(附帯被控訴人)敗訴の部分を取り消す。

2  被控訴人(附帯控訴人)らの請求(当審において拡張された分を含む。)及び附帯控訴をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。

事実《省略》

理由

一亡正男が本件事故当時、陸上自衛隊第三三一会計隊に所属の自衛官で一等陸士であつたこと、請求原因2に記載のとおり、昭和四二年六月二九日北海道岩見沢市幌向町中幌向先国道一二号線上において、市川一尉運転の本件事故車が対向走行してきた訴外鈴木啓司運転の大型トラツクと衝突し、そのため本件事故車に同乗していた亡正男が受傷し、翌日死亡したことは、当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、原判決一三枚目表九行目の「本件事故当日」から同一四枚目表一行目の「こと」までに記載の事実のほか、次の事実、すなわち、市川一尉は、本件事故直前、国道補修工事のため舗装部分の幅が狭くなつた道路部分にさしかかり、同所を時速約三五ないし四〇キロメートルの速度で通過したが、その直後、道路の舗装部分の幅が広くなつたところに出て時速約四五ないし五〇キロメートルに急加速したため、本件事故車の後輪を左に滑走させ、狼狽の余りハンドルを切り返して進路を正常に復させる余裕もないまま、本件事故車を道路上で回転させて反対車線に進入させ、本件事故を惹起したこと、事故現場付近は、事故当時降雨のため路面が濡れていたばかりでなく、右補修工事に際し補修部分に塗布したアスファルト(鉱物油)が本件事故車の進路の舗装路面上に約四七メートルの長さに亘つて付着し、そのため路面が極めて滑走し易い状況にあつたこと、しかるに、市川一尉は、路面に右鉱物油が付着していたのを看過して滑走等の危険はないものと軽信し、漫然アクセルペダルを踏み込んで前記のとおり加速したこと(以上の事実のうち、請求原因3の(一)の(1)記載の事実は、当事者間に争いがない。)、以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定の事実によれば、本件事故が市川一尉の運転上の過失によるものであることは明らかである。

三そこで、控訴人(附帯被控訴人)に安全配慮義務の不履行があつたか否かについて判断する。

国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負うものであり、この義務は、本来の職務権限として又は上司の命を受けて、公務の執行のための人的物的施設及び勤務条件等を支配管理する業務に従事する者が、国の履行補助者として履行すべきものと解され、その具体的内容は、公務員の職種、地位、遂行すべき公務の内容等の具体的状況によつて異なるものと解される。本件ように、自衛隊を自衛隊車両に公務の遂行として乗車させる場合においては、右車両の運行を指示し、隊員に乗車を命ずる者が、当該車両の運行による公務の遂行を管理支配するのであるから、国の安全配慮義務の履行補助者となり、右車両の運行に伴う危険から乗車する隊員の生命及び健康等を保護するよう配慮すべき義務を負う。具体的には、右履行補動者は、車両の整備を十全ならしめて車両自体から生ずべき危険を防止し、車両の運転者としてその任に適する技能を有する者を選任し、かつ、当該車両を運転する上で必要な安全上の注意を与えて、車両の運行から生ずべき危険を防止しなければならない。さらに、履行補助者自身が当該車両に同乗する場合には、車両の運行中においても、運転者が危険な運転を行うなど事故の発生が予見しうるような場合には、運転者に対して適切な注意を与えるなど、予見しうる危険の発生を防止するよう配慮する義務があるというべきである。けだし、安全配慮義務は、ある法律関係に付随して信義則上認められるものであるから、この義務を履行すべき者において危険の発生を予見することができ、かつ、右危険の発生を防止するための措置をとり得る場合には、信義則上当然右措置をとるべき義務を負うものと解するのが相当であるからである。そして、このことは、履行補助者自身が当該車両を運転するため乗車している場合においても同様であつて、その者は、運転者としての道路交通法その他の交通法令上の注意義務を負うことはもとより、国の安全配慮義務の履行補助者としての前記の義務をも負つているのであり、両者は観念上別個の義務として存在し、いずれの違反に対してもその責任を問うことができるものと解するのが相当である。

本件においては、前記認定事実によれば、市川一尉は、会計隊長として隊の公務の執行を支配管理し、本件事故車の運行を指示して自らその運転者となり、亡正男に対し車両運転の指導教育のため右車両に同乗を命じたのであるから、同一尉は、国の安全配慮義務の履行補助者として、亡正男に対し、前述したところに従い、本件事故車の運行につき安全を配慮すべき義務を負つていたものということができる。

そこで、市川一尉に右安全配慮義務違反があつた否かにつき考えるに、まず、被控訴人(附帯控訴人)らは、市川一尉は本件事故車の運転者としての適格を有していなかつたものであるから、同一尉が自らを運転者として選任した点において安全配慮義務違反があつた旨主張するので、この点について判断する。市川一尉が本件事故当時までに約三〇〇キロメートルの自衛隊車両の運転経験を有していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、市川一尉は、昭和四〇年八月二八日大型第一種の運転免許を取得し、本件事故当時までに、トラツクを主とする自衛隊車両を約三〇〇キロメートル、自己所有の小型乗用車を約一万三〇〇〇キロメートル運転した経験を有し、その間無事故、無違反であつたことが認められる。右事実によれば、他に特段の事情の認められない限り、市川一尉は、本件事故車の運転者としてその任に適する技能を有していたものというべきであり、被控訴人(附帯控訴人)らが請求原因3の(一)の(2)において主張する自衛隊申両の運転資格を欠くとする事実は、これを認めるに足りる証拠はなく、また、本件事故車が左ハンドルであつて市川一尉の常時運転していた小型乗用者より遙かに排気量が大きい点も、市川一尉の前記運転経験、取得した免許の種類に照らすと右特段の事情に当たるということはできず、他に右特段の事情を認めるに足りる証拠はない。してみると、市川一尉は、本件事故車の運転につきその適格を有していたものといつて妨げなく、同一尉が自らを運転者に選任したことをもつて安全配慮義務違反であるということはできない。

次に、被控訴人(附帯控訴人)らは、国の安全配慮義務の履行補助者則である市川一尉に運転上の過失があつた以上、安全配慮義務違反もあつた旨主張する。なるほど、前述のとおり、市川一尉は国の安全配慮義務の履行補助者として自ら本件事故車を運転したのであるから、運転中おいても、運転者としての注意義務のみではなく、場合によつては国の安全配慮義務の履行補助者として危険の発生を防止するに必要な具体的措置をとるべき義務をも負つていたものというべきである。

しなしながら、前記のとおり、安全配慮義務は、国が公務逐行に関する人的、物的諸条件を支配管理する権限を有することに由来する義務であり、管理権の発動として実行されるものであるから、国の安全配慮義務の履行補助者が公務の執行としての自動車の運行に関して負つている注意義務は、自動車運転者が右のような管理権とは無関係に道路交通法その他の法令に基いて運転上負つている注意義務とは、その性質、法的根拠及び内容を異にするのであつて、その者に運転者としての過失があつたことから、直ちに国の安全配慮義務の面でも履行補助者として義務違反があつたと結論づけ得ないことはいうまでもない。前認定の市川一尉の過失は、同人が国の安全配慮義務につき履行補助者の地位にあることとは全く無関係の、すなわち、同人が国の履行補助者として公務につき有していた前記管理権とは無関係の運転上の注意義務を怠つたことによるものである。この点に関連して、仮りに、亡正男が訓練のため車両を運転し、市川一尉が傍らで指導教育に当たつていたとした場合の権衡を考えるとしても、既に運転免許を取得している亡正男が自動車運転者としての注意義務を遵守するであろうことは、格別の事情がない限りその監督者においても一応信頼してよいことであるから、前記道路状況のもとで亡正男が急加速を行つて車両を滑走させ事故を招来する危険があることを市川一尉において予測すべき義務があつたとはいえず、また、前記のごとき突発的な事故の状況に鑑み、危険防止のため市川一尉において予め亡正男に対し何らかの指示を与え本件事故を防止し得たとする時間的余裕もなかつたといわざるを得ないから、本件について、亡正男が運転していた場合との権衡論を根拠として市川一尉の安全配慮義務違反を肯定することは適切でない。

そうすると、市川一尉に運転者としての注意義務違反があつたからといつて、安全配慮義務違反もあつたということはできず、被控訴人(附帯控訴人)らの右主張は、失当といわざるを得ない。

さらに、被控訴人(附帯控訴人)らは、亡正男は運転技術の未熟な上司の運転する車両に同乗することを命ぜられ、これを拒否できずに本件事故にあつたものであるから、信義則上国側に損害賠償の責任があると主張するが、市川一尉の運転技術については前認定のとおり未熟であつたものとはいえず、自己を運転者に選任し亡正男に同乗を命じたことじたいに安全配慮義務の違反があつたとはいえないこと前記のとおりであるから、右主張は採用することはできない。

四以上認定、説示したところによれば、控訴人(附帯被控訴人)が安全配慮義務に違反したものということはできないから、その余の点につき判断するまでもなく、被控訴人(附帯控訴人)らの本訴請求は、失当として棄却を免れない。

よつて、右と結論を異にする原判決を取り消し、被控訴人(附帯控訴人)らの請求を棄却し、附帯控訴及び当審において拡張された被控訴人(附帯控訴人)らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(杉山克彦 三井哲夫 相良朋紀)

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